百軒店の歴史

千代田稲荷神社

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千代田稲荷神社の創建については長禄元年(1457年)に太田道潅が千代田城(江戸城)を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請してきたことに始まるといわれております。その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長七年(1602年)に城内から渋谷宮益に移し、「千代田稲荷」と称したと伝えられています。

この神社が栄えたのは幕末の頃で、孝明天皇の妹、和宮親子内親王の江戸降嫁に際して道中を守護したといわれたため、人々の信仰を集めました。また、将軍家茂や慶喜の上洛などにも当社の御加護があったと噂されるようになり、千代田稲荷の霊験を伝える錦絵なども多く出されました。

 関東大震災の起った大正12年(1923年)、百軒店商店街の創設にあたって、宮益の地から道玄坂の地に遷座されました。第二次世界大戦後、現在の場所に再度遷座したのです。この神社が、百軒店に遷座されたのは、稲荷大神(字迦之御魂大神)が五穀をはじめとして、すべての食物・殖産興業をつかさどる神として仰がれているからです。

百軒店の歴史

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そもそも「百軒店」(ひゃっけんだな)は、大正12(1923)年の関東大震災直後、復興にともなう渋谷開発計画によって作られた街でした。箱根土地株式会社(西武グループの中心であったコクドの前身)が中川伯爵(旧・豊前岡藩主家)邸の土地を購入し、そこに百貨店のような空間を出現させるというコンセプトのもと、有名店・老舗を被災した下町から誘致したのです。当時としては非常に画期的な手法でした。
 その賑わいは浅草の仲見世に比べられたほどであり、当時宇田川町に住んでいた竹久夢二(画家・詩人 1884~1934)をして「百軒店で軒別に見歩くのはおっくうになった」と言わしめました。

 下町の復興とともに当初の有名店は去っていきましたが、その跡地には飲食店や映画館、カフェーなどが次々と入り、「百軒店」は渋谷における娯楽の中心として、新たな賑わいを見せます。ジャズ喫茶やロック喫茶によっても有名で、文化の街・音楽の街として栄え、それはランブリング=ストリートの単館系映画館やライブハウスとともにある、現在の「百軒店」の姿へとつながっています。

また、商店街の一角には「千代田稲荷神社」がありますが、このお社も「百軒店」を生んだ都市計画の中で、商売繁盛の神社として宮益坂から移転されたものです。渋谷の繁華街においてはたいへん貴重な聖域であり、「百軒店」を訪れる人々に安らぎを与えながら、街の移り変わりをずっと見守り続けてきました。

時代の波間から生まれて一世を風靡した、渋谷の賑わいの原型ともいえる街、「百軒店」。時代とともに街も変わり続け、世代をこえてたくさんの人々に親しまれてきました。みなさまのお越しを心よりお待ちしています。